美しき2人の女優が魅せる映画「キャロル」。 惹かれ合わずにはいられない、禁断の愛の物語。
第68回カンヌ国際映画祭でルーニー・マーラが女優賞を受賞し、批評家や映画ファンたちからも絶賛された「キャロル」。女性同士の恋愛、詩的な描写、ファッションやメイクに至るまで、余すことなく美しいこの映画に登場する香水は─?
2019年12月16日更新
記事の目次
[1]原作について
「太陽でいっぱい」で知られるアメリカの女流作家、パトリシア・ハイスミスの自伝的小説”The Price of Salt”(「クレア・モーガン」名義/1952年刊行)が原作です。
1950年代に女性同士の恋愛を描いたこの小説は、当時はかなりセンセーショナルだったのではないでしょうか。
同性愛者からの人気を得て、100万部を超えるベストセラーとなったようです。
私は今回の記事を執筆するまでパトリシア・ハイスミスについて調べたことはありませんでしたが、彼女の長篇第1作「見知らぬ乗客」はヒッチコックにより映画化され、長篇第3作「太陽がいっぱい」もヒット映画となりました。
他にも彼女の作品は多数映画化されています。人気作家として活躍し、1995年に亡くなりました。
[2]主な登場人物
キャロル(ケイト・ブランシェット)
夫と4歳の娘を持つ人妻。妖艶でゴージャス、美しく華やかなその姿は一見何不自由ないマダムに見えるが、実は夫との仲は破綻しており離婚を考えている。過去に女性との関係を持ったことも。
テレーズ(ルーニー・マーラ)
高級デパートのおもちゃ売り場で働いているが、写真家になりたいという夢を密かに持っている。清純で真面目、繊細そうではあるが、意志の強さを感じさせる若き女性。恋人から結婚を迫られているものの、何か満たされない日々を送っている。
※他にもキャロルの夫と娘、友人(元恋人)、テレーズの恋人などが登場しますが、主役の2人だけで十分だと思いますので割愛します。
[3]あらすじ
舞台は1952年、クリスマスシーズンのニューヨーク。
テレーズは勤め先のデパートのおもちゃ売り場で、美しい女性(キャロル)を見かけ、その姿に目を奪われます。一瞬目が合う2人。
ほどなくして、キャロルが娘のクリスマスプレゼントを探したいとテレーズに話しかけた、というのが2人のファーストコンタクトです。
娘へのプレゼントも決まり、クリスマズイブまでに家に届くよう手配を済ませキャロルは店を後にしますが、手袋を忘れてしまいました。
テレーズはすぐにその手袋をキャロルの家に郵送すると、受け取ったキャロルはデパートにお礼の電話をかけ、テレーズをランチに誘います。
それを機に二人の距離がだんだん縮まっていき・・・・・。
見た目も年齢も生き方も全く異なる2人ですが、出会った瞬間に何かが始まると予感させるオープニングで幕を開けます。
そしてその予感は当たり、2人は愛し合うようになるのですが、この映画のあらすじを順を追ってここで解説するのは、少しナンセンスな気がするんです。
無駄のない演技と「静」の描写、言葉はなくとも役者の表情だけで心情を表すシーンも多いので、そこに私がどんな言葉を乗せてもチープで面白みのない紹介になってしまう…。
今回はストーリーにはあまり触れずに、映画に登場する香水に焦点を絞ってみたいと思います。
[4]映画に登場する謎の香水①
出典 eiga.com/movie/81816/special/
映画が始まってから2分と経たないうちに、香水について最初の会話があります。
キャロルがテレーズとランチをするシーン、テレーズは少しオドオドというか、緊張している様子が伝わります。
向かいに座ったキャロルに、「その香水、ステキです。」
「結婚前に夫から贈られて、ずっと使ってるの。離婚するんだけどね。」
何てことのない会話ですが、美しい対照的な女性2人が見つめ合って交わすこのセリフは、観ていて少しドキドキしてしまいました。
とにかく最初はキャロルの妖艶さと美しさが圧倒的で、今にもテレーズを飲み込んでしまいそうな“圧”すら感じるんですが、物語が進むうちに、実は脆くて危うくて、今にも壊れてしまいそうな人でもあるということがわかってきます。
で、この香水は…⁈
「この香水はね、◯◯って言うのよ」と明かされていたとしたら、それはそれで印象的なシーンになったとも思います。
キャロルといえばこの香り!と、観ている人(香水好きの観賞者だと特に)の記憶に植え付けられたことでしょう。
でもここでは「結婚前に夫からもらって、ずっと付けてる香り」という情報しか与えられないんですよね。もうあれこれ想像せずにはいられません。
これまでに私が嗅いだことのある香水や、手持ちの香水を高速で思い浮かべながら、あれだろうかこれだろうかと頭をフル回転させました。
その中で思い浮かんだものは、以下のようにクラシカルで濃厚な、いかにもキャロルが付けていそうな、“ザ・”な香水。
・ジョイ/ジャン・パトゥ
・ミツコ/ゲラン
・サムサラ/ゲラン
・No.5/シャネル
・キュイール・ドゥ・ルシー/シャネル
・オピウム/イヴ・サンローラン
ただ、1952年当時はまだ発売されていないものもあるので、時代考察しなければと思いながら映画を観進めました。
[5]映画に登場する謎の香水②
物語の中盤、キャロルとテレーズは特に目的地を決めずに長期的な旅に出ます。
ホテルのスイートルーム、化粧品を並べた机の前で、「マドモアゼル、脈を打つ場所にだけよ。」と言いながら、ある香水をテレーズに手渡しました。
「私にも。あぁ、素晴らしい香り。」と、その香りにうっとりした表情を見せるキャロル。
これが香水が登場する2度目のシーンですが、「マドモアゼル」と言っているので、シャネルのココマドモアゼルかな?と思ったのですが、ココマドモアゼルの発売は2001年なので、違うんですね。
このシーンでは必然的に「テレーズにも似合う香り」を探してしまいました。そうなると、やはり思い浮かぶのはフェミニンなフローラル香水。
・ランテルディ/ジバンシィ
・マリアージュ/ジバンシィ
・ビューティフル/エスティ・ローダー
・ヴィーヴ・ラ・マリエ/パルファン・ロジーヌ パリ など。
しかし上記のうち1952年当時に発売されているものはありません。もっと古くて、かつキャロルとテレーズ両方に似合いそうなもの…
「レールデュタン/ニナリッチ」なら、当てはまるかな?と思いつつどこかしっくりこなくて、うーん何だろうとモヤモヤしながら、もしかしたら私の知らない「マドモアゼル」と言う名の香水があるのかもしれない、後で検索してみようということで、再び映画を観進めました。
[6]映画を見終わって
中盤からのストーリーを簡潔に書くと、
テレーズと共に旅に出たキャロルを連れ戻そうと、離婚を認めないキャロルの夫は、ある手段に出ます。
止むを得ずキャロルはテレーズに一方的に別れを告げ、連絡もせず、会うこともせず、しばらく距離を置くことに─。その後キャロルは離婚し、仕事を持ちます。
そして、キャロルと再会するシーンで映画は幕を閉じます。
どうしようもなく惹かれて合ってしまう姿や、密かに芽生える嫉妬心、愛するが故の切なさなど、静かにずっしりと伝わってきますが、決して重たくはない。
ベッドシーンにも下品なエロティシズムは皆無で、ただただ美しい絵画や芸術作品を見ているような気持ちになりました。
キャロルとテレーズ、2人はあくまでも対等で、どちらが優位だとか主導権はどっちだとかいう優劣も主従関係も一切ありません。
それでも最初はキャロルがいろんな意味で“強く”て、テレーズをリードしている印象でしたが、だんだんテレーズの“強さ”が全面に表れ、キャロルの方が少し自信を失っている様も垣間見ることになります。
お互い愛しているからこそテレーズは成長して強くなり、キャロルは愛を失う怖さを感じている。
でも結局、惹かれ合う気持ちに嘘はつけないんですよね。
こちらの想像力を掻き立てる叙情的な描写と映像美は、最初から最後まで美しく、心地よい余韻が残ります。
当時は同性愛に対して今とは比較にならないぐらい差別や非難があったと思います。
映画の中でそれがよく表されているのが、キャロルが夫や義父母から「病気」という扱いを受けていたこと。「同性愛は心の病気」というわけです。
人間は、”理解できないもの”に対して、どうにか納得できるように理由をつけたいというのはわかりますが、「同性愛=病気」として扱い、心理療法士に治療(※)をさせているという描写にはとても驚きました。
※キャロルが治療を受けているシーンは出てきませんが、恐らくカウンセリングを受けさせていたと思われます。
[7]私が選んだ謎の香水は─
さて、映画の中で2度登場した正体不明の香水、いったい何なんでしょうか?
もちろん実在しないものかもしれませんが、どうせなら現実に存在する(した)香水を想定して想像力を膨らませながら映画を楽しみたいですよね。
1度目も2度目も恐らくキャロルが結婚前に夫からもらったという、同じ香水だと思います。
「マドモアゼル 香水」で検索しましたが「ココマドモアゼル」以外ヒットしませんでした。
このシーンを観た時は香水の名前とばかり思ってしまいましたが、恐らく「マドモアゼル」は香水のことではなく、テレーズを指して「マドモアゼル=お嬢さん」と言ったか、
もしくはシャネルを指し「マドモアゼル シャネル」の意味でそう言ったのか…。
それ以外の香りのヒントと言えば、
テレーズが「ステキです」と褒めた
↓
「脈を打つ場所にだけよ」とテレーズにも勧めた
↓
あぁ良い香り、とキャロルが改めてつぶやいた
…これだけです。
最初に思い浮かんだ6本のうち、1952年当時発売されていたものとなると、以下の4本に絞られます。
・ミツコ/ゲラン(1919年)
・No.5/シャネル(1920年)
・キュイール・ドゥ・ルシー/シャネル(1924年)※1927年説もあり
・ジョイ/ジャン・パトゥ(1930年)
さて、この中で1本に絞るとなると・・・・。
どれを選んでもキャロルにふさわしい香りだと思いますが、私が選んだのはシャネルの「キュイール・ドゥ・ルシー」です。
トップノート:カラブリアンベルガモット、シチリア産マンダリンオレンジ、チュニジア産オレンジブロッサム
ミドルノート:ジャスミン、ローズ、イランイラン、アイリス、タバコ
ラストノート:アルバニア産バーチ(カバノキ)、樹脂、レザー
以前ムエットで嗅いだだけの記憶で手元にはなかったので、今回記事を書くにあたり、ネットショップで量り売り購入してみました。少しだけ試したい時は量り売りがオススメです。
キャロルが付けていた1952年当時と、今販売されているものでは香りは異なると思いますが、大差はないと考えここでは現代版の「キュイール・ドゥ・ルシー・オード・パルファム(CUIR DE RUSSIE EAU DE PARFUM)」(以下「キュイール・ドゥ・ルシー」)を元に書いていきたいと思います。
[8]「キュイール・ドゥ・ルシー」× キャロル
「キュイール・ドゥ・ルシー」は「ロシアの皮」という意味で、名前の通りレザーを彷彿とさせるクールでメンズライクな香りですが、あくまでも女性用香水として位置付けられています。
より男性っぽさを引き立てることもできれば、逆に女性としての色っぽさを際立たすこともできる、付ける人次第でどう転ぶかわからない香りですが、誰でも纏うことはできない、確実に人を選ぶ香水だと思います。
私は久しぶりに嗅ぎましたが、トップノートは花や柑橘の香りよりもアニマルっぽさが全面に押し出され、重たく濃い。
野生的なレザーが強く香り、ブルガリブラックにも似たゴムっぽさもありますが、あちらはずっしりした「甘さ」が潜んでいて、それがレザーと融合してセクシーな香りの要因にもなっていると思うのですが、「キュイール・ドゥ・ルシー」にはそういう甘さは一切ありません。
他人を寄せ付けないような硬派で男前な香りなんです。
ただ、しばらくするとアイリスの粉っぽさが主張してきて、やや柔かい印象に。革が良い塩梅に馴染んできた、という感じでしょうか。
それでも甘さを抜いたジャスミンと、オイゲノール(カーネーションの香りの主成分)が鼻を突きます。
ミドルノートからラストノートにかけては尖った印象もなくなり、パウダリックでスモーキーな後味を残しますが、フローラル的な甘さは最後まで感じないんですよね。
映画の中でしょっちゅう出てくるタバコ、毛皮、真っ赤な口紅、といったキャロルを象徴する画に加え、冬の寒々しいシーンは「キュイール・ドゥ・ルシー」があまりにもハマってしまいました。
私には全く似合わず、付けこなす自信もありませんし、肌に乗せても男性っぽさしか感じないのですが、この香りをキャロルが纏ったら…と考えると恐ろしく魅力的です。
「キュイール・ドゥ・ルシー」の媚びない香りが、キャロルから放たれている女性っぽさや色気をよりいっそう引き立てるように思います。
そこまで見越してキャロルにこの香水をプレゼントしたのだとしたら、キャロルの夫は相当センスが良いですね♫
この香水に負けない強さ、オーラ、自信、美しさなどを全て兼ね備えているキャロルですが、逆にキャロルにあってこの香水にないものといえば、”脆さ”や”危うさ”です。
そもそも「キュイール・ドゥ・ルシー」は、”白樺の樹皮でなめされた革靴や煙草が香る、ワイルドでありながらエレガントな世界を表現”した香水で、後に「No.5」を生み出すことになる調香師エルネスト・ボーと出会ったシャネルが、新時代の女性に向けて作った強い個性を持つ香りでもあり、別名は“皇帝の香り”と言うそうです。
脆さや危うさなどとは無縁の、いかにも自信に満ちた強い香りを想像させますよね。
また、当時のシャネルの恋人・ディミトリ大公は、ロシアのラストエンペラー・ニコライ2世の従兄弟にあたり、ロシアの怪僧と呼ばれたグレゴリー・ラスプーチンを暗殺してロシアから追放されたという只者ではない人物ですが、この恋人を介してエルネスト・ボーと運命の出会いを果たしたそうです。
このように、「キュイール・ドゥ・ルシー」の誕生には強力な背景があるわけですから、香りにも相当なパワーがみなぎっているのかもしれません。
この香水の持つ力強さが、キャロルの弱さを補うという役割を果たしていたのかもしれませんね。
もちろん「キュイール・ドゥ・ルシー」以外の香りを想像した方は大勢いると思います。
何が選ばれるのかアンケートをとりたいぐらいですが、正解はないのでキャロルに重ねる香りは十人十色。
まだ観ていない方も既に観た方も、あの香水はいったい何なのかぜひ想像してみて欲しいです。
それにしても、圧倒的な美しさに溢れながらふと見え隠れする”弱さ”を備えた女性というのは、最強ですね。
なろうと思っても自分は決してなることができない、ため息が出そうな女性でした。
そのキャロルが“天から落ちてきたよう”な人だと言ったテレーズもまた、キャロルとは真逆の独特な魅力を放つ美しい女性です。
そんな美しき2人が織りなす美しいラブストーリー、このクリスマスにぜひご鑑賞ください♫
出典 eiga.com/movie/81816/special/